2008年4月27日 (日)

用語上の違和感

 チベット報道では語句の用法に違和感を感じることが多い。暴動と言うより蜂起と言った方が正しいと思う。新華社の発表は勿論暴動という表現だろうが、日本のマスコミが中国政府の見方に立たないでも良いと思うのだが...。チベット人一揆でも悪くない。
 
 甘粛省のチベット人居住区、四川省のチベット人居住区といった言い方も個人的には違和感を感じる。中国の見方ではいわゆる西蔵自治区だけがチベットであるかのようだ。チベット人の国土感では、いわゆる西蔵自治区と周辺のチベット自治州は本来切り離せないものだ。チベット人はチベット三州という言い方をする。ラサやシガツェなと中心部をウ・ツァン、チャムドやジェクンド+いわゆるカンヅェ蔵族自治州周辺をカム、青海の大部分と甘粛南部からギャロンの草原地帯をアムドと呼ぶ。

 アムドとカムの大部分が中国の支配下に入ったのは、雍正帝のチベット分割によるものだから、18世紀以降。但し清朝では実際の支配は現地のチベット人土司(世襲のチベット人豪族)に任せていた。中華民国時代、カンヅェ(甘孜)蔵族自治州はは西康省と呼ばれたが、その時期でさえ中国が西康全域を直接支配していた訳ではない。中国政府とチベット政府の戦争で国境線は何度も動ていた。現行の自治区と自治州に分割された版図は六十年代に共産党が書き換えた地図だ。そうした歴史的経過を踏まえた上で報道してくれないものか。

 四川省のチベット人というと、何か漢人とチベット人が混ざり合って仲良く住んでるみたいだが、タルツェンド(康定)を境に東の低地に漢民族、西の高地にチベット民族と本来分かれてすんでいた。中国人地区から二郎山を越え、いわゆるカンヅェ蔵族自治州に登ると劇的に風土が変わる。

 チベット語で中国人はギャミ、チベット人をプバという。チベットを分割支配しても、チベット人にはギャとプの区別しかない。共産党はチベットの同化(漢民族化)を進めているが、同化を強めるほど反発が強まるのは当然だ。

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2008年4月26日 (土)

聖火リレー

 仕事に行く途中、携帯のワンセグで長野の聖火リレーの様子を見る。長野駅前で萩本欽ちゃんにペットボトルか? モノが投げられる。その後福原愛ちゃんも襲われそうになる。NHKのアナは聖火は無事リレーされ云々いっているが、テレビでみるかぎり全然無事じゃない。とはいえ火炎瓶でも投げ込まれ選手が火だるまになっては可哀想なので、欽ちゃんがひるむ位で丁度良かったように思う。長野では善光寺がチベット人弾圧を理由に出発地を辞退したのが、久しぶりに爽やかなニュースだった。日本では長いモノには巻かれろ的対応が通常だが、日本の僧侶も棄てたものではない。

 今回の五輪、まず北京でやること自体に無理がある。IOCのサマランチ元会長に責任があると思う。経済発展に目を奪われ、独裁国家の本質が見えていない。

 とはいえ一連の騒ぎ以来、チベット問題が日本でも普通に取り上げられるようになって良かった。以前は朝日新聞、NHKなどはチベット問題には非常に冷淡だった。最近は一応取り上げてくれるだけでなく、週刊朝日などは中国に対しかなり批判的だ。

 メディア内部でも世代交代というか、加藤千洋、筑紫哲也、田原総一朗のような中国シンパが高齢化して来ていて、若い一線級の記者は左の思想に懐疑的。最近はネット論壇もあるので、大手メディアが世論をリード出来る時代でもない。

 僕が残念に思うのは日本に住む留学生たちの動きだ。中国本土の漢民族がカルフールのボイコットなど愛国活動に熱心なのは仕方がない。彼らの情報は完全に共産党にコントロールされている。ほとんどの漢民族はチベットの歴史、ダライ・ラマなどについて何も知らない。無知で愚かしく思えるが、現状仕方がない。しかし外国に住む留学生は色んな情報に接することが出来るはず。チベット人弾圧に同情的な人もいることを信じたいが...。やっぱり愛国教育はなかなか抜けないのだろうか。外国へ出て学校の勉強以外に、民主国家の批判精神のようなものも学んで欲しい気がするが...。今回のように世界中が白けているのに世界の漢民族だけが盛り上がっているのをみると、漢民族の民度の低さが露呈されて残念だ。

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2008年3月17日 (月)

チベット・ラサ蜂起

 チベットの都・ラサで十九年ぶりの大規模な民衆蜂起。セラ・デプン・ガンデン寺の僧侶を中心に一般人も加わって、漢人商店を焼き討ちしている映像が流れる。亡国記念の3月10日は毎年注目していたが、もう長いこと動きが無かったので、久々のヒットといったところか。来年は亡国五十周年なのだが、今回の動きは意外だった。やはり五輪絡みだろうか。昨秋出されたの活仏管理条例の件もあるのだろう。数ヶ月前にダライ・ラマが米国でメダルを授与された際にも騒乱があったので、チベット独立運動も久々活動期に入ったのかもしれない。今後は北京五輪ボイコットに向け国際世論が盛り上がるかどうかも焦点。

 ラサでの蜂起が鎮圧されたあともアムド地方のラブラン(夏河)やアパ、カム地方のカンヅェでもデモが起きた模様だ。ラブラン寺のお坊さん達がたくさんチベット国旗を掲げていたが、よく僧坊のなかに隠しもっていたものだ。インドのデラドンにはラブラン寺から亡命した僧侶達が、新ラブラン寺?を建てて修行している。その町にはアムド・チベット人を中心に新規亡命者も含めたくさん住んでいるが、中には生活上の都合でラブランに戻るものもいる。「中国公民・チベット族」として生きる決心をして戻るのだが、亡命社会やダライ・ラマの動向は自然と伝わる。実際ラブランを訪れた際に以前インドであった人に再会した経験も何度かある。ラブランでもラサでも人々は中国支配に不満を持っている。だが寺院の中にさえ共産党組織が張りめぐらされていて、真実はみな小声で語られるのが現状だ。チベットでは役人や警察関係者でさえダライ・ラマを慕っている。しかし生活のため政教分離の建て前で中国人の上司に付き従っている。みんな家族や生活があるのだ。

 子供がいないのは、お坊さん。比較的フリーな立場にある。ラサのお坊さん、子供はいないが、当然親兄弟はいる。家族でチベット問題や若きパンチェン・ラマの件について語り合うこともあるだろう。今回のチベット人蜂起について、共産党はきっと「ダライ一派の策動」、「一部の僧侶が扇動」などというに違いない。だが殆ど全てのチベット人は心情的には親ダライだし、僧侶は一般市民を代弁している。89年のラサ蜂起の際も前後2、3年小規模なデモが頻発していた。今回のチベット人蜂起も鎮圧されそうだが、今後一年チベットでなにが起こるのか目が離せない。

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2008年2月 2日 (土)

唐人屋敷

 正月は生まれ故郷の長崎に帰省した。故郷と言っても、4歳で福岡県に越したので土地勘はない。長崎知らずの長崎もんである。でも距離があるぶん、長崎人が当たりまえのように思ってることに、気がついたりする。子供の頃、お盆の墓参り時にみんなで爆竹を鳴らしていた。長崎人にとっては当たりまえの行為だが、福岡でも東京でも誰もそんな事しない。あれって多分、中国文化の影響。中国南方のトン族の野辺送りを見たことがある。白装束の人達が、賑やかにラッパを吹き爆竹を鳴らしながら村を一巡していた。長崎のお祭りでは爆竹だけではなく、やびや(ロケット花火)も飛び交っていたが、流石に危ないので今では禁止になったらしい。北京の春節の話ではないょ。以上は長崎の話。

 これまで市街地に飲み込まれていた出島が、修復工事で扇の形を取り戻しつつあった。オランダ商人の館なども資料館のような形で建てられていた。用地の買収でまだ数十年かかりそうだが、いい事だと思う。

 唐人屋敷と呼ばれるエリアも訪ねた。此処も今では住宅街に飲み込まれ、かなりの想像力がいるが、要するに中国人用の居留地、出島みたいなものだ。ただ面積は出島よりもずっと広い。長崎に住んでいた中国人は福建・広東などからの南方人がほとんど。彼らが建てた中国寺が幾つかある。寺のご本尊は、台湾や福建と同じ海の神様「まそ」。日本でまそ信仰に出逢うのは初めてだ。確か横浜中華街にも、最近まそを祀った寺が出来たような気がするが…。居留地は囲い込む為のものなので、周囲は堀などで隔離されていた訳だが、そうした所も部分的に残っていた。

 長崎の文化を「わからん」という言葉で表現する。「わ」は和、「か」は中華、「らん」は蘭、オランダ。カステラでありチャンポンである。文化の混成という点では、東京よりもずっとオープンで柔軟性があるように思う。

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2008年1月27日 (日)

MAGNUM PHOTOS

 ブログのデザイン変更。ちょっと可愛いブタさんにしてみました。ついでにホームページのトップも替えました。こっちはちょっとメッセージ性を強めました。ちょっと覗いてみて下さい。

 今月上旬、東京都写真美術館のシアターでドキュメンタリー映画「MAGNUM PHOTOS」〜マグナムフォト 世界を変える写真家たち〜を見た。経営的な面や社会的役割からもマグナムは変わらないといけない・・・といった話が随所にでてきて、興味深かった。特に面白かったのが、マーティン・パーを正会員に迎え入れるかどうか揉めたという件。3年も50人ほどのメンバーの意見が真っ二つに分かれたらしい。もっとも、僕の意見では彼の加入はちょっと微妙だな。彼の写真は大好きで、実はロンドンのフォトグラファーズギャラリーでご本人にお目にかかったこともあるのだが、皮肉な芸術肌だからなー。30年後そうしたタイプが多くなると、完全にマグナムらしさは失われているだろうな。

 ちなみにセバスチャン・サルガド、ジェームス・ナクトウエイはマグナムには属していない。サルガドの方は確か一端所属したあと脱退したはず。サルガドはマグナムの会合でよく大声で議論していたという話を本で読んだ事があるが、そうしたやり取りも記録映画で見たかったな。

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2007年12月17日 (月)

王兵「鉄西区」

 アテネ・フランセで王兵監督の映画「鉄西区」の第一部を見る。この作品は3部構成で総上映時間は9時間! 03年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞した作品。家庭用の?ビデオカメラで撮影したと思われるかなり素人っぽい映像で、ひたすら被写体に寄り添う。部外者が立ち入れないような風呂場の休憩室や労働者の飲み会の映像が延々と流れる。多分カメラ片手に何年も工場に通ったのだろう。以前なら写真家だけが可能だったスタイルだ。そういえば王兵も最初は学校で写真を勉強していたらしい。今はビデオの世界も小型化しているので、個人でも結構いろんなことが出来る気がする。アマチュアの強味が生かせる時代だ。

 第一部は4時間だが、半分見て会場を後にした。かなり編集したのだろうが、まだ長過ぎる。ドキュメンタリー映画の世界は詳しくないが、この荒削りな作品が大賞をとったのは少し意外な気がする。他の作品を見てないから比較は出来ないけれども。この映画、映像より言葉の比重がかなり重い。そういえば王兵監督は今年も「鳳鳴―中国の記憶」で山形映画祭の賞を取ったが、ひたすら老人が人生を語る作品だそうだ。学生時代に見た、小川紳介監督が東北の農村を撮った映画にスタイルが似ている気がする。Nスペみたいにディレクターが映像を切り貼りして構成を作るのではなく、ひたすら対象に寄り添って記録する感じ。作る方も見る方も時間がかかるが、その世界を実際に体験しているような不思議な雰囲気に浸れる。2時間みて疲れたが、あとでまた第二部・第三部を見たくなった。

 スチールカメラ並みに沢山の人がビデオカメラを持つようになれば面白い。いや実際持ってる人は少なくないけど、子供の運動会以外使わない人が多いんだろうな。写真なら作品を雑誌に売ったり個展を開催したり出来るが、ビデオ作品の場合発表の機会があるかどうかが問題だ。そういえば写真の場合、メーカーがボランティア的に会場を貸してくれるが、ソニーや日立などビデオメーカーはそうした活動には関心ないのだろうか。もっとも企業がお膳立てをすれば良いという訳ではないが。個人で作る映画で先ずアタマに浮かぶのはジョナス・メカスの8ミリ映画。あとイメージフォーラム映画祭とか。映像の場合は発表の場も自主上映会って形で作る必要がありそう。個人で作る点では写真同様興味はあるけど、見せる機会を作るのが大変そうだね。

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2007年9月29日 (土)

ビルマのデモとチベット

ビルマではお坊さんのデモに市民が呼応し、大きな動きとなっている。丸腰で銃剣に立ち向う僧侶・市民にエールを送りたい。

さて、本題はチベットである。49年新中国成立後、チベットを侵略する中国軍と対峙したのは、貧弱な装備のチベット軍。当然勝てるはずもなく、51年屈辱的な17か条協定を結ばされるハメに。その後、抗中ゲリラ組織チュシ・ガンドゥクによる抵抗もあえなく1959年のラサ蜂起に到る。セラ寺・ガン寺・デプン寺のお坊さんや一般市民は当然抵抗したが、中国軍に制圧され指導者ダライ・ラマはインドに亡命。インド・ネパールには中国の支配を嫌うチベット難民13万人が、いまでは静かに暮らしている。チベット亡国より、半世紀余り。難民キャンプは、祖国を知らない二世三世が増えている。

80年代前半の胡耀邦時代、亡命政府と北京政府との間に対話の機運が高まった。亡命政府の代表団が、数次にわたってチベットを訪問するという、今なら考えられない出来事もあった。しかし、89年のラサでの市民蜂起、戒厳令下の大弾圧とチベットは再び冬の時代に入った。18年後の現在、ますます救いのない同化政策が進められている。

因みに当時チベット自治区トップとして弾圧を指揮したのは現在の指導者・胡錦トウ総書記。ラサ蜂起より3か月後の天安門事件当時、上海にて党の規律を優先させ、中共トップに登りつめたのが前任の江沢民氏。中国の指導者の条件は常に、民より党の論理を優先することだ。

以前チベットを旅していた時、よく体制に対する不満を聞いた。いまでもチベット本土でのダライ・ラマ14世に対する思いは強い。私がインドのダラムサラでダライ・ラマを拝見した話しをすると、彼らは目を輝かせる。但し、同時に中共の支配を脱することの困難さも知っている。人民解放軍は強過ぎる。チベット人は半世紀前に敗れ去ったのだ。

またチベットで反体制運動をするのは、ものすごく危険だ。本人だけでなく一族や次世代まで累が及ぶ。お坊さんや尼さんが反体制の声を上げるのは、彼らが独身でしがらみが少ないからだと現地で聞いたことがある。俗人は家族の将来を思うとなかなか動けない。中国というと市場経済も伸び、先進国に近づきつつあると誤解してる方も多いが、人権に関しては北朝鮮と本質は同じ。チベット独立や法輪功など幾つかのテーマは、今でもタブーだ。暗黒社会なのだ。

亡命政府側に対しても疑問がある。ガンジーを敬愛するダライ・ラマ14世は、僧侶という立場からも一貫して非暴力を唱えている。ノーベル平和賞はチベット難民の誇りだ。しかし先細りの現状、半世紀の難民生活に安住してはいないだろうか。

80年代後半、自由を求める東欧の民衆は体制を変えた。プラハの春の苦い経験にも関わらず、再び立ち上がった。

パレスチナでは難民は一貫して強大なイスラエル軍と戦い、常に世界の注目を集めている。

いま、ビルマでは丸腰のお坊さんや市民が圧制に声を上げている。

ダライ・ラマもかなり高齢である。ダライ・ラマ亡きあとは摂政が置かれるはず。中国政府も勝手に後継を選び、意のままに操つろうとするだろう。亡命政府側では青年のカルマパあたりに求心力が集まるのだろうか。

チベット難民の若者のなかには、非暴力主義に不満の者もいるはず。ダライ・ラマのコントロールが効かないぐらいでなければ、チベットには文化的にも政治的にも未来がないように思える。

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2007年9月 8日 (土)

ジャー・ジャンクー「小武」

 ジャー・ジャンクー監督の映画「小武」(邦題「一瞬の夢」)をDVDで見る。映画は余りみるほうではないが、中国で取材の際に新華書店でよく買ってくる。第5世代のチャン・イーモーやチェン・カイコーは勿論素晴らしいのだが、僕にとっては、なんだか話のスケールが壮大過ぎる気がして違和感を感じる。その点ジャー・ジャンクーは等身大で、主人公も特に美男美女でなく、結末は救いようがないのがほとんど。若者の悶々とした焦燥感がうまく描かれている。僕が長年見てきた庶民のイメージと重なるので共感を覚える。ジャー監督は30代後半なので、天安門事件前の自由な時代に多感な時期を過ごしたはず。ドキュメンタリーに近い劇映画で、話しのスパイスに天安門事件や法輪功の取り締まり、炭坑夫の苦難、人身売買などリアルな出来事が挿入されたりする。

 最新作「三峡好人」(邦題は長江哀歌)は去年のベネチアでグランプリを受賞したので、今や若手ナンバーワンといったところ。 「小武」「任逍遙」「プラットフォーム」「世界」「三峡好人」と全作品DVDを持ってるが、どれも素晴らしい。小武の主人公・王宏偉(ワンホンウェイ)やジャー作品のマドンナ・趙淘(チャオ・タオ)、いいです。存在感がある。

 この人の作品を見るとドキュメンタリー映画の可能性を感じる。勿論作品はシナリオがある劇映画なのだが、近過去の時代の断片をうまく記録している。老百姓(庶民)の生活記録などは時代が過ぎると忘れ去られる。彼の作品はそうした意味でも貴重なのではないか。

 自分も僭越ながら、時代の断片を記録する気持ちで被写体に向かっている。中国絵画の名作「清明上河図」には俯瞰から七百人以上の人物が生き生きと描かれている。気持ちだけは、写真で現代の「清明上河図」が描くつもりでいる。

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2007年8月 7日 (火)

チベット旅行

チベットに関心がある方から旅行の相談を受けた。友人と2人で10日間の予定だが、友人は最近開通したチベット鉄道でラサに行きたいという。しかし、自分はチベットの問題について、もやもやした思いがあって、鉄道でのラサ・ツアー観光がいけないことのように感じる、云々。

確かに悩ましい問題だ。ダライ・ラマ14世のインド亡命&中国共産党のチベット直接支配から、はや四十八年。漢民族の流入と同化が進み、本来のチベット文化が失われているのは事実だ。特に都市部ほど深刻で、いまラサやシガツェに行きたいか? と問われると、そうでもないのが正直なところ。

チベット旅行と一口に言ってもいろんな捉え方がある。

隣国のネパール、インドには十万人以上のチベット難民たちが、伝統的なチベット文化を守りながら暮らしている。チベット亡命政府があるインド北部のダラムサラという街には、仏教やチベット文化を学びに、世界中から多くの人たちが集まっている。

小生、九十年代初頭に一年近くダラムサラや周辺の難民キャンプを訪ね歩いたが、伝統文化やチベット問題を考えるには適当な場所に思える。

チベットをチベット文化圏と捉えると、選択肢はさらに広がる。インドのザンムーカシミール州のラダック地方にはチベット系民族のラダック人が住んでいる。小チベットとも呼ばれ、争乱に巻き込まれなかったぶん、チベット文化の古層がよく保存されているという。仏教絵画などの研究者はこちらを主にフィールドにする。チベットではお祭りや人の集まる行事は制限を受けているが、こちら小チベットはその点は自由があるので、観光も楽しめそう。また観光業のノウハウもあるし、中国的なものに触れる機会もないので、大多数の旅行者が気分よく過ごせるように思う。

中国に支配されてるチベット(チベット本土?)にしても本来のチベット人の土地はチベット自治区だけではない。早い時期に周辺の省に組み込まれたので誤解されてるが、甘粛省の最南部、四川省の西部、雲南省の最北部、青海省の大部分はコレにあたり、○○省チベット族自治州と呼ばれている。

チベット仏教ゲルク派六大寺の一つにラプラン・タシギ寺があるが、所在地は甘粛省甘南チベット族自治州である。二度訪れたことがあるが、新年のお祭りの賑わいはチベット本土?で一番のように思う。

余談だが日本でダライ・ラマの次に有名なチベット人、ペマ・ギャルポ氏は四川省甘孜チベット族自治州ニャロン県の出身だ。

チベット人は伝統的に自分たちの「くに」を3州に分ける。ラサやシガツェのある中心地ウ・ツァン、北東の遊牧民が多くすむアムド、東部の人口が多いカム。しかし現行の地図ではアムドやカムは周辺の省に分断され分かりにくくなっている。

もしチベット本土? を旅行するなら、本当はチベット自治区より周辺自治州の方が面白い。但しこちらは、未開放地区も多いので旅慣れた人向け。地元公安局に捕まったりトラブルの多い旅になる。また、カム地区では体制に批判的な「真のチベット人」に接触する機会もあるだろう。

昨日の新聞にチベットでチベット独立を叫ぶ住民と警察が衝突とある。小規模のようだが、こうしたニュースは久しぶりな気がする。89年のラサ蜂起が弾圧されて以来、チベット独立運動は低調である。最近、中国政府は活仏の転生を許可制にする「チベット仏教活仏転生管理規則」なるものを9月から導入するそうだ。既に高齢のダライ・ラマ14世亡き後をにらんで転生制度に介入していこうという動きだろう。今は力で押さえてるが、今後どうなることやら。

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2007年7月 1日 (日)

二発目の原爆

久間防衛大臣が、長崎の原爆は仕方がなかった、といったそうだ。原爆投下がなければ、北海道はソ連に占領されていただろう、その身代わりに仕方ないという主旨のようだ。

確かに当時の情勢を考えるとそういう事態もあり得ただろう。北に日本人民共和国、南に民主日本国とか。

そういう考えを日本人の側から言う事に違和感を覚えた。久間さんは長崎もんである。ワタシも長崎もんだが、東京もんより原爆の悲惨さはよく知ってるはず。アメリカにすりよる姿勢に意図的なモノを感じる。

広島の原爆は罪深い。トルーマンは地獄で永遠に苦しむだろう。だが更に罪深いのは長崎の原爆だ。二発目は小倉に落とす予定だったが、雲が厚かったので長崎に落とた。

長崎原爆の悲惨な状況はカメラマン山端庸介さんが撮影している。以前原爆取材についての本を見て気付いたが、カメラマン、映画関係者など初期段階の撮影者には早死にが多い。六十年以上たった今でも入市被爆者が保証を求めて裁判をしている。

ワタシの親とその家族は原爆投下半年後に爆心からそう遠く無い地にバラックを建ててすんだそうだ。そんな残留放射能がありそうな土地に住まなくても良さそうなものだが、そこ以外にゆかりのある地がなかったそうである。たぶん毎日食べるだけで精一杯だったのだろう。

原爆の被爆状況が一定の基準を満たせば、国から被爆者手帳が交付され医療費はただになる。これも持ってない人から見ると妬みのもとである。「あん人は原爆手帳のあるけん、よかばいねー」なんて会話を聞くのはつらい。
母方の親戚は病気がちな人が多い。残留放射能の影響があるかどうかは、現代の医学では判別出来ないだろう。長崎広島にはいまもそういった人がたくさん住んでいる。

長崎の死者は馬鹿トルーマンのせいで犬死したのだろうか?三度目の核爆弾が落ちれば、犬死と言えるし、長崎が最後なら被爆に意味を持たせることが出来るように思う。

なにも「平和憲法を守れ!」とか、共産党みたいなことは言わない。戦後平和でこられたのは、憲法九条より日米安保、核の傘のお陰である。日米同盟は最重要だ。しかし、必要以上にすりよる必要もあるまいに。

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